AVRリハビリ

久しぶりにマイコンで遊んでみた。

リハビリとして恒例のLチカから、ちょいわからんとこがあったので忘備録として書いておく。

 

ATtiny2313+AVRSPI mkII, AVRStudio 6

PB0にLEDと電流制限抵抗を接続

 

#define F_CPU 1000000

#include <avr/io.h>
#include <util/delay.h>

int main(void)
{
DDRB = 0xff;
while(1)
{
_delay_ms(500);
PORTB = ~PORTB & 0x01;
}
}

 

ライタとマイコンの接続を確認し、debugも通ってさあ動作するか?と思ったら動作しない。

プログラムを実際に書き込まないといけないようだ。

 Tools > Device Programming より、ライタとMPUを指定

書き込むhexファイルを選択して書き込む。

 

無事動作確認完了。

今度はA/Dコンバータみたいな使い方とかPWM制御とかやってみるか。

電子工作

机の引き出しをあさっていたらATtiny13とかATtiny2313とかが出てきました。

マイコンは昔いじっていましたが、最近はほとんどいじっていません。

スピーカーで音を出してみたり、LCDで何か表示させてみたいです。

<a target="_blank" href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm7607242">【ニコニコ動画】8ピンICで遊ぶ【電子工作】</a>

こんな感じで

 

とりあえずマックで開発環境を整えるのだー

三日坊主をやめるには

私は物事を続けるのが得意ではなく、いいと思った慣習もなかなか身につけることができません。

三日坊主に取り付かれている、みたいな。

ブログを書くことが頭の中を整理するために有効だとわかっていても、文章を書き出すプロセスや、何を書くのかを考えることがめんどうくさいんでしょうね。

 

隣のデスクの同期に毎日PCパーツのブログの記事を書いている男がいます。

実際にPCパーツを使って記事を書いているのではなく、海外の情報筋の英文記事を要約し、日本語で転載しています。

英語を読むのは面倒だろうし、ましてや能動的に文章を打ち込んでいくのは輪をかけて面倒であると思いますが、彼はなぜ記事を書き続けられるのだろうか。

先人たちの受け売りになってしまいますが、「物事を続けることはやめないこと」であると思いました。

 

やめなければ続けていることになるから?それとも、他人から報酬をもらうことがはげみになるから?

とにかく自分が成長するためにできることがあるならば、それを習慣化してしまうことが手っ取り早いのではないかと思った次第であります。

おおかみこどもの雨と雪

久しぶりに映画を見ました。

タイトルにある通り、細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」です。

公開からちょうど一年経っていますが、今まで見られなかったもので。

http://www.ookamikodomo.jp/index.html

以下ネタバレ注意なので、見たくないかたは閉じてください。

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失敗作

梅雨が明けてから毎日暑いですね。

こんなときはさっぱりしたお菓子が食べたい...ということでサイダーのシュワシュワが味わえるゼリーを試作しました!

材料:ゼラチン15グラム、水100cc、グラニュー糖大さじ1、三ツ矢サイダー800cc、フルーツ(今回はキウイとオレンジを使用)

  1. ゼラチンに水を入れてふやかす。湯煎にかけて溶け残りがないようによくまぜ、グラニュー糖を加えてさましておく。
  2. フルーツをカットして器に入れておく。
  3. ゼラチン液にサイダーを加えて軽くまぜる。器に取り分けて冷蔵庫で冷やし固める。

このように作りましたが、3の工程でゼラチン液とサイダーがうまく混合せずに固まりませんでした。一部だけ固まったって感じですかね。

原因は混合不足と生のキウイを使ったことにありそうです。

パイナップルやキウイはタンパク質分解酵素を持っていてゼラチンを固めないそうな。

http://www2.ocn.ne.jp/~maipi/zeri/zerif1.html

今後の教訓としては、

  • キウイを加熱して酵素を失活させる
  • ゼラチンがしっかり固まるレシピを使う
  • 試作の量を作りすぎない(冷蔵庫がいっぱいになってしまった)

ですね。

 

今回は失敗してしまいましたが、オレンジとキウイの味がついたサイダーなので悪くはないです。いや、むしろおいしい。

壷と大きな岩の話

みなさんはこの話を知っているだろうか。

ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

 http://hiro.asks.jp/62143.html?page=2

 

まとめサイトやブログをよく見る人なら一度は目にしたことのある文章だと思う。

実際、自分も数ヶ月前にこの文章を見つけて「大切なもの」とは何なのかを考えたことがある。

 

文中では壷の中に入れたものは取り出せない前提になっているが、本当にそうなのだろうか?

最近改めて考えてみると、壷の中身は案外と入れ替わるものなのではないだろうか。

例えば、アニメやゲームに染まっていて、現実の恋愛には興味ないと公言していた人が、あるきっかけで恋人ができて考えがかわっちゃいました、とか。

大きな岩を時間をかけて吟味していれるんじゃなくて、ある時点での大きな岩を見つけたらすぐ入れるほうがしっくりくるんじゃないでしょうか。

人間は意外と視野が狭い生き物ですから。

 

私が重要だと思うことは二つある。

一つ目は現状に満足せずにより大きな岩を見つける意識を持つこと、もう一つは思い切って壷の中身を捨てることであろう。

新しい考えを習得すること、ルーチンワークを破棄することは、やりたいと思っているだけでは全くできないものだから。